サイババに関するブログとHP(ホームページ)

bolojaisai2013-02-03

サイババに関する日本でのオフィシャルのホームページはSSOJです。
世界でのオフィシャルのホームページは、以下などがあるようです。
Sri Sathya Sai Books and Publications Trust
Radio Sai Global Harmony

英語のホームページの方が情報も多く、更新も頻繁で内容も膨大なほどあるですが、英語はよくわからないので、SSOJのHPをよく見ます。
しかし、日々更新されるわけではないのが残念なのです。
きっとそんな理由で、フェイスブックなどの毎日変化があるメディアの人気があるのだなと思いました。

さて、サイババに関係するブログはどれくらいあるのだろうかと思い、検索してみました。
たくさんあるようで、あまり見つかりませんでした。
SSOJのホームページには、正式にアップできるような内容がメインなので、体験談や、タイムリーなリポートはブログのほうに多そうです。
参加できなかった全国サーダナキャンプの後には、体験談や資料がよめればうれしいし、各センターでの取り組みもリポートがあれば、とても興味深いです。

いくつか見つかったブログをRSSリーダーに登録しておくと、毎日どこかで更新があったりしてとてもうれしく読ませていただいています。
(こちらのGoogleのリーダーなど)
今日は、いくつか見つかったブログをご紹介します。
他にも知っているブログがありましたら、ぜひ教えてください!!

子連れインド・サイババおっかけブログ

ヴェーダ/マントラ

daivampremaのブログ

サイババ紀行 - SAI BABA JOURNEY

とってもいいいんど/ババとインドと私

茨城サイババ バジャン Ibaraki Sai Baba Bhajan

ガーヤトリー マントラに関するサイババの御言葉 9 (ガヤトリーマントラ)

7.ガーヤトリー マントラにはどのような力が秘められていますか?


このマントラには無限の可能性があります。これは強く響き渡る祈りの言葉です。このマントラは、はかり知れない力をもちます。その力は実にすばらしいものです。なぜなら、このマントラを司る神格が太陽であるからです。
(『サティヤ サイ ヴァヒニ』p.184)

プッタパルティの朝の音源 Radio Saiからヴェーダとバジャンの素晴らしい録音

bolojaisai2013-01-18

Radio Saiというホームページがあります。
英語ですが、膨大な量のサイババに関するすばらしい音源を聞くことができます。
公式のメディアで、インドのプッタパルティでの録音や、いろいろな方の体験談、バジャンやヴェーダなどを聞くことができます。世界中のサイティヤ サイ オーガニゼーションからのプログラムも放送されており、SSOJ(サティヤ サイ オーガニゼーション ジャパン)の日本語プログラムも放送されています。
バックナンバーはこちらのSSOJのホームページから聞くことができます。

ここで見つけたすばらしい音源を紹介いたします。

インドのプッタパルティサイババのダルシャン(見ること)を受けることができたころ、毎朝早くからマンディールに行き、ナガラサンキールタン(バジャンを歌いながらサイババの家の周りを歩く行列)の列に並んでいたものでした。
ちょうど並んでいるころに、ヴェーダのグループがサイババの家の周りを歩きながら唱えているのを聞くことができました。
そして、それがガネーシャ像の前で終わると、ナガラサンキールタンが女性から始まるのでした。
この1時間あまりの風景を録音した音源が16個もアップされていました。

オームカーラム、スップラバータム(朝の祈り)、ヴェーダパーラーヤナム、ナガラサンキールタンが順番に流れ、まさにマンディールでの朝の全てのプログラムを体験することができるのです。
ナガラサンキールタンでは、アシュラムの鳥たちの朝のさえずりも聞こえ、まさに一緒に歩いている気分になります。

そして、とても印象に残っていた、ナガラサンキールタンでおじさんが叩いているすごいタンバリンの音が、よく聞こえるのです。
ヴェーダも当時はまったくわかりませんでしたが、今では日本で唱えているものもたくさんあり、ヴェーダナーラーヤナン先生の声がとてもよく聞こえます。

英語のホームページなので、このようなすばらしい音源を見つけるのが少し大変ですが、以下から見つけることができるので、ぜひ試してみてください。

検索方法(2013/1/18現在)
1. 番組の検索ページを表示する

2. 検索ボックスに以下の言葉を入れて、「I`m through, show me the results!」をクリックする

Recordings of the Morning Schedule at Prasanthi Nilayam

3. 「Moments of Oneness - Recordings of the Morning Schedule at Prasanthi Nilayam - Omkaram, Suprabhatam, Vedaparayanam, Nagarasankeertanam」という列が表示されたら、一番右の「Download」欄の下向き矢印をクリックする

4. 16回分の音源が表示されるので、クリックして再生やダウンロードをする

サンスクリット語学習2 ヴェーディックサンスクリットと普通のサンスクリットは異なる 

bolojaisai2013-01-03

私がサンスクリット語の勉強に夢中だったころ、サイババのもとでヴェーダを唱えていたある方から聞いたのは、ヴェーダサンスクリットと、現在勉強することができるサンスクリットは異なるということだった。


自分が覚えたヴェーダのすべての言葉を辞書でひいてその意味を調べていた私は、その言葉を聞いてびっくりしたのと同時に、納得したような感じもあった。
なぜならば、辞書で言葉を引くたびに、その意味のあまりの多さにわけがわからなくなっていたからだ。


ヴェーダは始まりがない
ヴェーダは、人が書いたものではない


いつ、誰によって書かれたと言うことができない経典(?)と聞いて、納得することができる人はどれだけいるのだろうか。
しかし、そうとしかいいようのないその存在を、確かに暗唱している自分がいる。
その言葉は、古きは数千年前の聖者が唱えていたのと同じで、新しきには世界遺産に指定された無形文化遺産である。
考えれば考えるほど、不思議でとらえどころがない。
それは、ただ味わうことができるものだ。


かつて、聖者はその言葉を書いたのではなく、聞いた。
ヴェーダは、その言葉以上の意味を持ち、その音自体が神の具現である。
ヴェーダを理解するには、ヴェーダと同じ場所に立って、聞くことのみによって可能である。


実際に、文法的にもヴェーダサンスクリットと、普通のサンスクリットで異なる部分がある。
そして、ヴェーダの直訳を読むと、???となることは珍しくない。
しかし、中には訳でも理解しやすく、また唱えやすいものがあるのだ。
そして、サイババはそれらをよく講話で話しておられるように思う。
そんなヴェーダの一つが、sahana vavatu から始まるヴェーダだ。(つづく)

サンスクリット語学習 ヴェーダチャンティングとサンスクリット

bolojaisai2012-12-30

ヴェーダを学び、唱えることに夢中になると、サンスクリット語に興味が出てくる。
自分が唱えている言葉が何の意味があるか興味が出てくる。
奥のナとかタとか、いろいろな発音を学ぶにつれ、自分の中にサンスクリットの響きがなじんでくることに気づく。


英語を何も見ないで10分間話し続けることはできないけど、ヴェーダの言葉なら10分間話し続けられることに気づいたとき、義務教育で何年も勉強した英語以上にサンスクリットが自分の中にあることに驚いた。


以前、ある老年のインド人の方に出会った。その方はヴェーダを伝える家系に生まれ、インドのある大学で高い地位にある方だった。
日本でヴェーダを学んでいる人がいることを知って、その方は非常に喜ばれた。そして、プルシャスークタムの言葉を唱えるだけではなく、朗々と話し続けられた。なぜなら、その方はサンスクリットで会話ができる方だったのだ。日本で大学のサンスクリットの教授に何人もあったが、誰もサンスクリットで会話をすることができないことを残念に思ったのだという。

意味はよくわからないが、その言葉と発音は覚えていた私にとって、唱えるのでなく、話し続けるその言葉を聞いていると、感慨深いものがこみ上げてきた。
ただ唱え続けていたヴェーダに命がこもったような気がした。


それから、サンスクリットの教科書を購入し、文法を外国語として勉強し始めた。
今まで唱えていたヴェーダの根拠となることが毎日のように発見された。
それは、私の知的好奇心を十分に刺激し、継続して勉強することを苦にならないものとさせた。
その頃に、難しいサンスクリットの教科書の読解に行き詰ったときに、私を助けてくれたサイトがあった。
まんどぅーかのサンスクリット・ページ
http://www.manduuka.net/sanskrit/index.htm

このホームページは、あるタクシーの運転手さんがこつこつ勉強したことをまとめたものであるというから驚きだ。
その内容のわかりやすさと専門性といったら、いろいろな同種の他のページと比較にならないほどだった。


サンスクリットは文法を理解すればするほど、その道のりの果てのない長さを実感することができるという不思議な言語だった。
そして、私はこれを生涯かけて極めたいと思うようになった。


一方で、そんな私にサイババは全く異なる視点を学ばせてくれたように思う。
サイババのもとでヴェーダを唱えていたある方から、このような言葉を聞いたのだった。
それは、ヴェーダサンスクリットと、現在勉強することができるサンスクリットは異なるものだというものだった。(つづく)

2003年 サイババの前で日本語バジャンを歌った日 〜ギターとサイババと私〜

2003年のプッタパルティ

中学生の時、ふと友人がこんなことを言った。
「昨日、夢をみたんだ。俺とおまえが一緒にギターを弾きながら、歌ってた。」
間もなく、わたしはお茶の水のギター店に両親といっしょに立っていた。
初心者用の一番安いエレキギターを、私は両親にねだって手に入れた。


ある日、家の近くのゴミ捨て場で、私はいいものを発見した。
私は、アコースティッグギターを手に入れた。


高校生になると、私の毎日はギターと共にあった。
うまく指が動くように、テレビを見たり、音楽を聴いたりしているときには、いつもギターをさわっていた。
友人と遊ぶ時にはいつもギターを持っていって、外で一緒に歌っていた。


社会人になり、それほどギターを手にすることはなくなっていた。
そして、私はサイババと出会い、サイセンターのバジャンに参加するようになっていた。
サイセンターの片隅に、誰かのギターが置いてあった。
今は誰もひいていないというそのギターは、間もなくバジャンの時にはいつも私のひざの上にのるようになっていた。


2003年、私は初めてサイババに会いに行くために、SSOJのサーダナキャンプに参加した。
プッタパルティで、日本語のバジャンをサイババの前で演奏することができた。
その時、私のひざの上には1本のギターがあり、私は夢中でそれを弾いていた。
そのギターは、古いクラッシックギターだった。

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インドへ出発する直前に、家の物置で眠っている1本のギターを発見した。
見た感じから数十年前のもののようだった。
父に聞いてみたが、覚えがないとのこと。
結局、それはどこで誰が手に入れたギターかわからなかった。しかし、音はきれいに響き渡っていた。そのことを、インドに一緒に行く予定だった友人に話すと、それをインドに持っていくことを勧められた。
はじめてのインドへの旅、何をもっていけばいいのかわからず、ただスーツケースにたくさんいろんなものを詰め込んでいた時に、何よりも大きな荷物が加わることとなった。
インドの航空会社の取り扱いに耐えるだけの、頑丈なハードケースを購入し、私は大きな荷物を抱えて家を出たのであった。

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私たちの目の前で、椅子に座ってサイババは日本語バジャンを聞いていた。
目をとじて、ゆらゆらと手を動かして、サイババはそこにいた。
神さまがそこにいた。


ふと私は中学校の時の友人の夢の話を思い出した。
彼があの夢をみなければ、私はギターを持つことはなかっただろう。
そして、今、サイババの前でギターを持っている。
すべては、この瞬間のためだったと感じた。
そして、私が今まで体験したすべてのことは、こんな風にすべて意味があるのかと思った。
サイババに会うために、このギターは何十年も眠っていたのかと思った。
私だけでなく、私の両親、祖父母、先祖代々のみなさまが、少しずつ積み重ねたよい行いの貯金が、定期預金のようにたまって、私は神さまに直接出会うという幸運をいただいたのだと思った。


ギターとサイババと私
ふしぎなつながりで、私の人生は本格的にはじまった。

アカンダ バジャン 24時間絶えることのないバジャン(神の讃歌)

bolojaisai2012-11-10

2012年、11/10と11/11の今日明日はアカンダバジャンです。
毎年11月のサイババの降誕祭の前の土日に、世界中で同じ時間に行われます。


バジャンは神の讃歌です。
神の栄光をたたえ、神の御名を唱え、帰依者が神を愛する思いを歌います。
1曲が終わったら、すぐに次の曲になるので24時間、本当に絶えることなくバジャンが続きます。


私は学生時代に音楽にとても縁が深く育ちました。
ロックに夢中になりギターを持ったり、友達とバンドを組んだり、作曲をしたり、CDを聞きこんでそれを評論したり、ライブCDを聴き比べてすばらしさを発見したりしました。
やがて理想の音楽をイメージするようになり、それに近いアーティストを発見するととてもうれしくなりました。
理想が高くなるにしたがい、今まで好きだったアーティストも物足りなくなっていきました。
より精神性を重要に感じるようになり、ジョンレノンやジミヘンドリックスなどのアーティストの偉大さを、今までと少し違った角度で感じるようになりました。


そしてバジャンに出会ったとき、これが探していたものだと確信しました。
歌うべきものが見つからなくなっていた自分にとって、神の栄光と神の御名を歌うということが、最後に残ったそれでした。
それから先、私はさまざまなバジャンを聞き、歌い続けています。


そしてふと思い出したときに、昔好きだったアーティストを聞くと、また楽しめたりすることも少なくありません。
いろいろな国の民族音楽、日本の民謡、雅楽、合唱曲、オペラ、さまざまな音楽を聴くようになりました。


そんなバジャンを24時間、味わい続けることができるのが、このアカンダバジャンです。
これが終わるとサイババの御降誕祭、そして年末までもうすぐとなるのです。
11月は、何か特別な月です。