サンスクリット語学習 ヴェーダチャンティングとサンスクリット

bolojaisai2012-12-30

ヴェーダを学び、唱えることに夢中になると、サンスクリット語に興味が出てくる。
自分が唱えている言葉が何の意味があるか興味が出てくる。
奥のナとかタとか、いろいろな発音を学ぶにつれ、自分の中にサンスクリットの響きがなじんでくることに気づく。


英語を何も見ないで10分間話し続けることはできないけど、ヴェーダの言葉なら10分間話し続けられることに気づいたとき、義務教育で何年も勉強した英語以上にサンスクリットが自分の中にあることに驚いた。


以前、ある老年のインド人の方に出会った。その方はヴェーダを伝える家系に生まれ、インドのある大学で高い地位にある方だった。
日本でヴェーダを学んでいる人がいることを知って、その方は非常に喜ばれた。そして、プルシャスークタムの言葉を唱えるだけではなく、朗々と話し続けられた。なぜなら、その方はサンスクリットで会話ができる方だったのだ。日本で大学のサンスクリットの教授に何人もあったが、誰もサンスクリットで会話をすることができないことを残念に思ったのだという。

意味はよくわからないが、その言葉と発音は覚えていた私にとって、唱えるのでなく、話し続けるその言葉を聞いていると、感慨深いものがこみ上げてきた。
ただ唱え続けていたヴェーダに命がこもったような気がした。


それから、サンスクリットの教科書を購入し、文法を外国語として勉強し始めた。
今まで唱えていたヴェーダの根拠となることが毎日のように発見された。
それは、私の知的好奇心を十分に刺激し、継続して勉強することを苦にならないものとさせた。
その頃に、難しいサンスクリットの教科書の読解に行き詰ったときに、私を助けてくれたサイトがあった。
まんどぅーかのサンスクリット・ページ
http://www.manduuka.net/sanskrit/index.htm

このホームページは、あるタクシーの運転手さんがこつこつ勉強したことをまとめたものであるというから驚きだ。
その内容のわかりやすさと専門性といったら、いろいろな同種の他のページと比較にならないほどだった。


サンスクリットは文法を理解すればするほど、その道のりの果てのない長さを実感することができるという不思議な言語だった。
そして、私はこれを生涯かけて極めたいと思うようになった。


一方で、そんな私にサイババは全く異なる視点を学ばせてくれたように思う。
サイババのもとでヴェーダを唱えていたある方から、このような言葉を聞いたのだった。
それは、ヴェーダサンスクリットと、現在勉強することができるサンスクリットは異なるものだというものだった。(つづく)