2003年 サイババの前で日本語バジャンを歌った日 〜ギターとサイババと私〜

2003年のプッタパルティ

中学生の時、ふと友人がこんなことを言った。
「昨日、夢をみたんだ。俺とおまえが一緒にギターを弾きながら、歌ってた。」
間もなく、わたしはお茶の水のギター店に両親といっしょに立っていた。
初心者用の一番安いエレキギターを、私は両親にねだって手に入れた。


ある日、家の近くのゴミ捨て場で、私はいいものを発見した。
私は、アコースティッグギターを手に入れた。


高校生になると、私の毎日はギターと共にあった。
うまく指が動くように、テレビを見たり、音楽を聴いたりしているときには、いつもギターをさわっていた。
友人と遊ぶ時にはいつもギターを持っていって、外で一緒に歌っていた。


社会人になり、それほどギターを手にすることはなくなっていた。
そして、私はサイババと出会い、サイセンターのバジャンに参加するようになっていた。
サイセンターの片隅に、誰かのギターが置いてあった。
今は誰もひいていないというそのギターは、間もなくバジャンの時にはいつも私のひざの上にのるようになっていた。


2003年、私は初めてサイババに会いに行くために、SSOJのサーダナキャンプに参加した。
プッタパルティで、日本語のバジャンをサイババの前で演奏することができた。
その時、私のひざの上には1本のギターがあり、私は夢中でそれを弾いていた。
そのギターは、古いクラッシックギターだった。

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インドへ出発する直前に、家の物置で眠っている1本のギターを発見した。
見た感じから数十年前のもののようだった。
父に聞いてみたが、覚えがないとのこと。
結局、それはどこで誰が手に入れたギターかわからなかった。しかし、音はきれいに響き渡っていた。そのことを、インドに一緒に行く予定だった友人に話すと、それをインドに持っていくことを勧められた。
はじめてのインドへの旅、何をもっていけばいいのかわからず、ただスーツケースにたくさんいろんなものを詰め込んでいた時に、何よりも大きな荷物が加わることとなった。
インドの航空会社の取り扱いに耐えるだけの、頑丈なハードケースを購入し、私は大きな荷物を抱えて家を出たのであった。

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私たちの目の前で、椅子に座ってサイババは日本語バジャンを聞いていた。
目をとじて、ゆらゆらと手を動かして、サイババはそこにいた。
神さまがそこにいた。


ふと私は中学校の時の友人の夢の話を思い出した。
彼があの夢をみなければ、私はギターを持つことはなかっただろう。
そして、今、サイババの前でギターを持っている。
すべては、この瞬間のためだったと感じた。
そして、私が今まで体験したすべてのことは、こんな風にすべて意味があるのかと思った。
サイババに会うために、このギターは何十年も眠っていたのかと思った。
私だけでなく、私の両親、祖父母、先祖代々のみなさまが、少しずつ積み重ねたよい行いの貯金が、定期預金のようにたまって、私は神さまに直接出会うという幸運をいただいたのだと思った。


ギターとサイババと私
ふしぎなつながりで、私の人生は本格的にはじまった。