ガナパティ プラールタナー と「節」
ガナパティ プラールタナーを唱えていて、節について気づくことがありました。節はサンスクリットの文字では縦の棒で区切ってあります。とても難しいと言われるナマカムというヴェーダでは、
om namo bhagavate rudraya で一節です。
では、ガナパティ プラールタナーではどうかというと、
gananam tva ganapatigm havamahe kavim kavinamupamashravastamam で一節
jeshtharajam brahmanam brahmanaspata a nah shrnvan nutibhisida sadanam で一節
と、圧倒的に長い2節ではじまるのです。
ヴェーダを習い始めたときに、サイババの学生に、息つぎの場所はとくに決まっているわけではないから、ここで息つぎということを必ずしもみんなで統一しなくてもよいと教わりました。だから必ずここで息継ぎしなくてはいけない、ここまで息継ぎをしてはいけないというルールはないようです。
しかしガナパティ プラールタナーをいつも唱えている時には、気づかないうちに上記の2節について、何度も間で区切る癖がついていることに気づきました。
gananam tva
ganapatigm havamahe
kavim kavinamupamashravastamam
jeshtharajam brahmanam
brahmanaspata a nah
shrnvan nutibhisida sadanam
のように唱えていたのです。
はじめて学んだヴェーダだったので、短く区切りながら何度も練習してしたため、自然とそうなっていたのだと思います。
息つぎがはいるからいけないということではなく、なんとなく思いと意味が3つくらいに別れていたように感じたのです。
プッタパルティではどのように唱えていただろうかと、いろいろな日と人の録音を聞いてみました。
すると、発音やメロディはいろいろ個性がありましたが、どれを聞いても
gananam tva ganapatigm havamahe kavim kavinamupamashravastamam で一節のような感じで唱えられているように聞こえました。
聞こえる通りに一緒に唱えてみると、いつもとちがったガナパティ プラールタナーのように感じられ、何かわからないけどよい体験になりました。
聞けば聞くほど、上にいろいろ書いた理屈よりも、聞いた通りに唱えることの大切さを感じました。