サイババと話をする人の表情 必死な人と笑顔な人
サイババの追悼式が終わり、たくさんのことを考え、体験し、気づくことがあった。
以前、インドのプッタパルティに1カ月滞在し、毎日サイババのダルシャン(姿を拝見すること)に行っていたころのことを思いだす。
日本に帰ってきて、サイババを身近に感じて、日々の生活を送ることができるようになったころを思い出す。
ふと、サイババと会話をしているいろいろな国の人の顔を見ると、二通りに区別されることに気づいた。
一つは、必死な表情で何かを訴えている人
もう一つは満面の笑顔で、至福の表情で話している人
後者はインド人に多いように感じた。
サイババの学校の学生も後者が多いように感じた
神さまに向かって手を合わせるとき、何かを願うことと、感謝をすることがどれくらいだったかを比べると、圧倒的に願うことが多かったように思う。
導いてください
教えてください
助けてください
させてください
神さまの前で笑顔でいられるようになるにはどうなればよいかと考えると
神さまへ願うこと以上に感謝がわきあがってくる
神さまは畏れる対象ではなく、愛する対象になる
自分自身が救われて、神さまへの感謝と社会への奉仕に生きることができるようになる
自分の生きる目的、役割(ダルマ)に疑いがなくなる
こんなふうに思った。
みんなで、もう一度サイババに会いたい
みんなで、満面の笑顔で会いたい