ベジタリアン

bolojaisai2009-03-23

私は6年ほど前からベジタリアンの食生活になりました。
肉、魚、卵そのものと、それらのダシは食べません。
食べるとどうなるの?と聞かれることがあります。食べていないので正直わかりませんが、美味しくは感じられないので、我慢はまったくしていません。
ある日突然なったのではなく、少しずつ自然になりました。


自分でもきっかけはなんだろう と考えてしまいました。

すると、ひとつの古い体験が思い出されました。


私が十代のころ、コンビニでバイトをしていたときのことでした。
コンビニでは、期限切れの弁当やパンがたくさん出ます。
あとで知りましたが、あえてたくさんでるように会社から指示があるそうです。
売り切れてしまうような商品状況はよくないという経営方針があるそうです。


どのくらいだと思いますか?
店によると思いますが、私の店では一日に2回買い物カゴ満杯で2〜4つくらいでした。
はじめは本当にびっくりしましたが、だんだん慣れてきて当たり前のように感じるようになってきました。


ある日、深夜にひとりでこの作業をしていたときに、ひとつのお弁当に目がとまりました。
鳥のから揚げが入っていました。
ひとつの考えが心に浮かびました。


「このニワトリは、きっと工場で生まれ、太陽の光もほとんどみることなく育てられ、そしてある日機械で殺され、加工され、人が好む味付けに料理され・・・・・
そして今、誰にも食べられることなく、僕の手でゴミ箱に捨てられる・・・・」


なんともいえない満たされない思いに包まれました。
それを非難するわけでもなく、ただただむなしくなりました。

そして、確信のないひとつの妥協案のような思いがこころに浮かびました。

「ニワトリが喜ぶとは思えないけど、でも・・・・・・僕が食べよう」

当時(10年以上前)は、おおっぴらでなければ、バイトのメンバーは捨てる予定の弁当をまかないとして食べさせてもらえました。
本社の方針としてはよくないようで、最近ではきっと厳しくなっていると思いますが、私の店では大丈夫でした。


そんな毎日が続き、私はいろいろなことを考えるようになりました。

「これから50年以上私が生きているとして、いったいどれだけの鳥と豚と牛と魚を食べるんだろう・・・。」


そんな若者の潔癖さのような思いを真剣に考えることができた時間は、いろいろな考えは生みましたが、生活をそれほど変えることはありませんでした。

ベジタリアンという選択肢は、一度も私の頭に浮かぶことはありませんでした。


それから数年たった後に、サイババのこのような言葉に出会いました。


動物たちは、人間に食べられるために生まれてきたのではありません。
動物たちはそれぞれの生涯をこの世でまっとうするために生まれたのです。


サイセンターにはベジタリアンの人がたくさんいました。
ひとりでは、考えもしなかったベジタリアンという生き方も、まわりにそういう人がいると、本当に自然に無理なく、影響を受けました。
サイセンターで頂く食事はベジタリアンの食事ばかりでした。
しかも、とても美味しく、インド料理は本格的でした。


いろいろ調べると、世界中にはたくさんのベジタリアンがいることに驚きました。
オリンピックの選手や格闘スポーツの選手にも、ベジタリアンの方がいることを知り、びっくりしました。


そして、私はベジタリアンになりました。
でも、野菜も生きていますよね。
だから自分の罪がなくなったとはやっぱり思えないし、息をするだけで空気中の微生物のいのちを奪っているとも聞きます。


だから、ベジタリアンでない人を悪く思うことはないし、でもベジタリアンのよさはそうでない人にも理解できるものなので紹介したいと思うことはあります。
食事はつまらないものではなく、いつも本当に美味しいです。
ベジタリアン料理は、ベジタリアンではない人にもおいしく食べられるもので、ふたつにひとつというものではないと思いました。


風邪気味のとき、消化によいものをベジタリアン料理でたべれば、とても美味しく、回復にもよいと思います。