bolojaisai2009-03-25

*1237972110*[セヴァ(奉仕)]ナーラーヤナ セヴァ  〜人間の姿をしたナーラーヤナ(神々)にそれを捧げること〜
私にとってはじめてのボランティアは、社会福祉協議会の、ボランティア講座でした。
障害者作業所、老人ホーム、保育園で今までにかかわることがなかった方々と触れ合う機会をいただきました。
はじめての体験で緊張しましたがそれ以上に楽しい体験となりました。

サイセンターにはじめて行ったときに、ナーラーヤナ セヴァというものが定期的にあるとお聞きしました。
たくさんのホームレスの方が住んでいる地域で食事を配るというものでした。

実は、違うボランティアグループの活動で、その場所で食事をくばるお手伝いをしたことがあったので、それほど緊張することなく参加することができました。

しかし、食事を作りながら聞いた言葉は私にとって、とても驚く内容でした。


「ナーラーヤナ セヴァとはどういう意味ですか?」


「ナーラーヤナは、ヴィシュヌ神の別名なんです。ホームレスの方に食事をお渡しすることは、ナーラーヤナ神さまに食事を捧げることなんです。」


なるほど・・・・。
言葉がありませんでした。

今までにもしたことがあるボランティアだと思っていたけれど、全く違うような気がしました。
私は、もともとホームレスの方々とお話をするのは緊張しませんでしたが、神さまとお話すると思うと、なんとも不思議な気分になりました。


はじめて参加してから、もう何年もたちました。
先日もナーラーヤナ神さまに食事をささげることができました。


センターの皆さんと一緒に配布するのはスムーズですが、仕事帰りなど、自分ひとりのときに偶然お会いするナーラーヤナ神さまにはうまくお渡しできないこともあります。
少し躊躇してしまって、急いで食事を用意してお渡ししに行くと、もう姿が見えなかったりすることがあります。
そんな時は、神さまに捧げ物をお渡しできなかったと自分の至らない点を省みる機会となります。
自分がおなかが減っているときには、何よりも優先して自分の空腹を満たそうとするのに、他人だと優先順位が変わってしまうのです。
人の痛みや空腹を、自分のものとして感じることができる、やわらかいバターのようなハートを持ちたいと思います。


あなたは食物の贈り物を食物の施しと呼びます。しかし、神からあたえられたものを施したり、そのことを得意に思ったりする権利は誰にもありません。何か施し物をあたえることができたなどと感じる権利すらありません。神が雨を降らせ、神が苗を育て、神が穀物を実らせたのです。それを自分のものだと言い、施し物として他のものへあたえる権利が、あなたのどこにあるのでしょうか。あなたがしていることは施しではなく、神に感謝を捧げているだけなのです。収穫した穀物を使って調理し、あなたの目の前にいる人間の姿をしたナーラーヤナ(神々)にそれを捧げることによって、その穀物を清めているのです。それをナーラーヤナ セヴァと呼びなさい。それが正確な表現です。

サイババの御言葉  奉仕による修行 P62から


奉仕による修行 - Yoga of Action

奉仕による修行 - Yoga of Action